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2018/03/26
★展示★ 花の時 - The time of “The words of flowers ” - 3/23 - 5/4
INAMORI ギャラリー 展示のお知らせ
飯田竜太 個展
花の時 - The time of “The words of flowers ” -
3/23 - 5/4(この期間の基本的に木金のみOPEN 11:30-16:30)
The limits of my language are the limits of my world.
あなたの言語の範囲はあなたの世界の範囲でもある。
Ludwig Wittgenstein
ル ー ト ヴ ィ ッ ヒ ウ ィト ゲ ン シ ュ タ イ ン
小さな子どもが、庭先で花をつんでいる。鮮やかな色に反応してなのか。小さな手が「すっ」と花の方に伸びる。花の匂いに誘われ たのか、花の美しさに惹かれたのか。無邪気にこちらを見て、手のひらの中の花びらをふんわり握りしめる。
花が咲くと花を見る。見ることで確認したいし、満たされたい。それは見ているもの全てを言葉にできないことと同じであり、言葉 にできないものを見ることとも、同じなのかもしれない。だから結局忘れてしまう。
記憶に焼き付けたいと思うことほど、もう一度焼きつけるために、自然に思い出すことが難しい。絶対忘れちゃいけないことは、何 か別の方法で残すことを考える。それが記憶を呼び覚ます装置になる。
自分の作品には、自分の記憶が雰囲気として備わることを目指している。書かれている文字や、作られた形には、自分の記憶が備 わっていない。目の前にある、印刷物、立体物。それらに触れているという記憶、つまり行為としての記憶が、そこに備わっている。 彫刻という言葉に翻弄されながら、作られた作品が飾られた時、行為としての記憶が呼び覚まされる。
作りながら、きれいだ(なぁ)と思った記憶を、共有して欲しい。ここは本当にいい場所だから。 そして忘れたくない時間と場所があるから。
飯田竜太